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   涸沢の紅葉 

sanpo.no.995  23年10月3日〜5日(火〜木)    メンバー6 
上高地〜明神〜徳澤〜横尾〜本谷橋〜涸沢小屋〜パロラマコース〜屏風の耳〜徳澤園〜上高地 




涸沢岳と涸沢槍 武やん撮影

23年10月4日(月)晴

 大阪を前夜発車中の6名は沢渡で仮眠後タクシーに乗換え夜明けの上高地に着く。天気がよく楽しい登山ができそうだ。

 まだ早朝7時、観光客は見当たらず登山者のみウロウロしてる。 河童橋を渡り梓川の右岸を明神へ。途中で岳沢から前穂への登山口を過ぎる。


 

 明神では有名な嘉門次小屋の囲炉裏の間を見せて貰って、ウエストンから贈られたピッケルと嘉門次自身の村田銃の写真を撮る。一昨年泊まった時の写真がピンボケのため。日本アルプスを世に紹介したのは英国人宣教師ウエルター・ウエストン。3度来日し延20年も滞在して「日本アルプス の登山と探検」を英国の山岳誌に発表し世界に紹介している。この本が日本で翻訳され日本アルプスが知られるようになった。たかだか100年程の前のことで富士山や大峰山等の1000年前から知られていたのとは大いに違う。この時上條嘉門次が山案内に当たり、ウエストンから長年の友情の印としてピッケルが贈られたものだ。

 この小屋名物のイワナの塩焼きの準備中。仲間の2人は明神池の散策に出かけた。綺麗な流れに梅花藻が揺れている。そばのいけすにはイワナが泳いでいた。ユモトマユミの木の実が赤く熟すが回りの木の紅葉はまだまだ。

 今日の行程は横尾から涸沢小屋までの約6時間の楽々コース、のんびり登山でガイドは信州出身の武やん。しかも山岳部出身でこのアルプスは知り尽くしている。日頃あまりしゃべらない山男が女性が多いため口もなめらか。



 新村橋の一つ下流の橋を渡り梓川左岸へ。向こうから来る登山姿の青年に道を聞かれた。今、武やんから聞いたばかりのパノラマコースの取付きをツルさんと2人で説明して別れたがちょっと不安。

 知らぬまに徳澤を過ぎていて喉が乾いたが横尾まで我慢するとしよう。徳澤園は経由しなかったのだ。新村橋越しの青空に岸壁の明神岳がそびえる姿を目にして胸が踊る思い。他の仲間もそうだろうか。

 横尾で屏風岩の巨大な岩壁が飛び込んで来る。またもや胸が踊る。屏風岩をバックに全員の記念写真。



 コマネズミさんの説明の「穂高を愛して二十年」小山義治氏の苦闘した小説に出てくる岩小屋跡だ。この岩小屋を基点に木材を担ぎ上げ北穂小屋を大変な苦労をして完成させたという。



 屏風岩が迫り見上げると首が痛くなるほど。その右奥は前穂だろうか奥穂だろうか。もう少し若ければそうだ40年ほど若ければ屏風岩のクライミングに挑戦しただろうに。清流の橋のたもとに多くの登山者が休んでいる。本谷橋だ。ここで昼飯休憩。

 

 本谷橋を過ぎると勾配がきつくなり歩みがのろくなる。道を譲ったり譲られたりが続く。コマネズミさんがご主人に気合を入れる。 ふと背後を振り返ると屏風岩の間から常念岳や蝶ケ岳が。穂高の峰々に迎えられて歩むと色づき始めた木々の間から今日の宿舎の涸沢小屋が見え始めた。

 燃えるような赤いナナカマドに思わずヤッター、ヤッター。何枚もカメラに撮る。足取りも軽く涸沢小屋に着いた。テラスではビールやコーヒーを飲む人、写真をとる人で溢れていた。




 指定された2階の部屋に荷物を置きに行く。寝転んだ人のすき間に番号を探す。20cmほどの枕はすき間なく並べられて横向きでないと寝られないほどの混みように思わず苦笑する。畳1枚に2.5人といったところだ。
 
涸沢小屋


 夕食を交代ですませ布団の上で2次会。その後ミコさんと星空を見に出たが期待したほどでは無かったのは残念。もう少し時間が遅い方がよかったかな。寝床は幸い隣りの2つの番号が空いて幾分混雑が緩和。

23年10月5日(火)晴

 夕べは隣りの男の大いびきでほとんど寝られなかった。 その隣りのおばさんレディーはもう一人の大いびき男に挟まれて可哀想な気がしたが。 朝食を待つ合間にテラスに出るとちょうどモルゲンロート(朝焼け)に穂高の山々が染まりつつあった。



 6時30分頃の3回目の朝食をすませ、テラスに荷物を置き、武やんの案内で涸沢周遊に出発。奥穂高山荘に向かうザイテングラートをたどると見事な紅葉だ。少し時期が早いが場所により、しびれるような赤と白い岩肌のコントラストが素晴らしい。

 

 写真でよく目にするお馴染みの涸沢槍とナナカマドは見事。恐る恐る雪渓を横切り涸沢ヒュッテに向って下る。何組みも奥穂に登るグループに出合う。
     


 涸沢ヒュッテ横からパノラマルートに踏み入れる。前穂の北尾根を巻くこの道は崖の途中にあり、8月末でも残雪があるそうで上級者向きとなっている。現在の時期は残雪がないが湿ったところは霜柱が立ち、ところどころ地面が凍結し岩には氷柱がある。ロープ箇所が多い。槍ケ岳が次第に大きく見えてきた。1時間ほど慎重に歩いて屏風岩の尾根にでた。

  

 屏風のコルに荷物を置いて大きな岩だらけの急登を這い上がり屏風の耳に着いた。360度の大展望の三等三角点だ。おわんのような涸沢の周りには荒々しい穂高の山々が迫ってくる。



 槍ケ岳が天に突き刺し、蝶の長い山頂と蝶槍、格好のよい常念岳。その左には富士山が雲の上に浮かび、甲斐駒ケ岳、北岳、間ノ岳、塩見岳等の南アルプスの山々の大展望。春や夏の山では霞んで見えないが。北アが初めての様子のコマネズミさんのご主人も次に登る山が見つかったようである。
 
 
左から雲の上に富士山、甲斐駒ケ岳、北岳、間ノ岳        槍ケ岳




 青年2人が屏風の頭に向かうのを羨ましく見送りながら下山する。あそこを往復すると1時間ほどかかりそう。賽の河原でまたまた撮影タイム。手乗り槍や股槍の写真を代わる代わる撮る。


股の下に槍が見えますか。



屏風岩からの下り、前方は前穂高と吊り尾根 
同じ3日に蝶ケ岳ヒュッテに泊まり岩湧山のキノコ博士が撮した夜明けの槍・穂高の大展望


 屏風のコルで昼食後徳澤に向い下りに入る。途中で足が攣って身動き出来ない単独者の男性。コマさんが靴を脱がせて指を伸ばす。ツムラ68という特効薬を飲ませる。10分ほどで治るという。これからから涸沢に行くという同じ世帯の男性を心配しながら別れる。

 昨日見た新村橋までは相当時間がかかった。途中に切れたザイル事件の墓標があった。井上靖の小説「氷壁」のヒントになった事件だ。手前の林道は治山運搬路で歩行者禁止らしい。その為か奥又白谷からパノラマコースの案内板が無かった。

 


 今日の宿の徳澤園は古い格式のある宿だった。廊下の調度品も素晴らしい。玄関の受付で飛び入りの客を丁寧に断り他の宿の手配をしていた。山小屋のように無理に詰め込まない。部屋は2段ベットで畳一疊に一人。もう少し金を払えば個室もあり浴衣がつき食事も1〜2品多く旅館並み。入浴後、イワナの塩焼きとワインで乾杯をした。


 夕食後、談話室で仲間の昔のギャルたち2人が2人の男性と話をしていた。武やんが4人を呼び寄せ、8人でウイスキーの水割りを囲んだ。鎌倉と湘南のお二人で8年前亡くなったご婦人のため蝶ケ岳に登る夫と友人だった。大阪のことをよくご存知で通天閣やビリケンさんの話がでた。ミコさんが明朝早立ちだからと途中退席。



23年10月6日(水)曇り後雨






 翌日朝食前に散歩。ミコさんが早朝歩いた蝶、常念方面の取付きから少し登って見た。 色づき始めた森のキャンプ場から徳澤ロッジや梓川沿いを歩いた。 戻って見ると武やんとツルさんが一人の青年と話をしていた。初日に道を教えた青年だった。無事でよかった。ツルさんが顔を記憶していて分かったそうであるから凄い。仙台から来たこの青年はパノラマコース、屏風の頭、涸沢小屋、北穂、涸沢岳、奥穂高から横尾山荘を回ったというから恐ろしく早いペースである。
            仙台の青年

 ゆっくりと朝食をすませて上高地に向かう。小雨が降り始めて徳澤ロッジのテラスでザックカバーやレインスーツをつけたりした。ツルさんが 「ミコやんが早朝の3時頃出発したのではないか」という。今日の天気が崩れ雨予報に蝶ケ岳に向い出発を早めたようだ。もう8時だからそろそろ着く時間だ。仲間と別れて蝶、常念岳、燕岳を周り中房温泉に下る予定と聞く。
 上高地ビジターセンターを1時間ほど見学。上高地や北アルプスの自然を紹介していて見ごたえがあった。ここは上高地に入るとまっ先に寄るとよいだろう。ミコさんからメールが入った。蝶ケ岳ヒュッテに10時過ぎに到着したが、雨風強く今日はここで泊まり明日常念岳に向かうとのこと。

 昼頃上高地に着くと大勢のツアー客や高校生の団体などがひしめいていた。五千尺ホテルの食堂で昼飯をすませて混雑する河童橋を渡る。白樺荘がある。50年程前に登山の帰り白樺荘の屋根裏部屋に泊まったことがある。 
 
 西糸屋山荘、高校生が吐き出される上高地アルペンホテル、ウエストン碑、清水屋ホテル、上高地温泉ホテルを過ぎると田代橋に近づいた。明神から前穂、吊り尾根から奥穂、天狗の頭方面の大展望が小雨ながら見られたのは幸運だった。田代橋を渡ると赤い屋根が目立つ上高地帝国ホテル。玄関と裏側から眺める。静かな森の中に貫禄のある建物がたたずむ。

 田代池は六百山や霞沢岳の伏流水が流れ出て養われ、長い年月をかけて湿原になっている。きれいな流れに梅花藻が揺れる。ここも前穂方面の撮影ポイントだ。
 20年振りに見る大正池は大分枯木が少なくなり湖面の土砂が増えた気がする。小雨の中に焼岳が小さな噴煙を上げる。人馴れした鴨が湖面を泳いでいた。

 大正池バス停から武やんがタクシーの電話を入れると3分位で到着し沢渡に向かった。5人乗りで沢渡まで4000円。運転手さんの話では乗鞍岳の紅葉は霜が降りて全くダメだそうだ。沢渡で白骨温泉に向かうコマネズミさんご夫婦と別れて帰阪につき、大満足の山旅は終了した。


 次に来るときは、紅葉の最盛期に周りたい。上高地〜焼岳〜西穂〜奥穂高〜涸沢〜横尾〜上高地が第一希望だ。







 

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