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山   名  北ア 槍ケ岳 3180m
    sanpo.no.760 20年8月4日(月)小雨後曇り 気温15℃ メンバー 2
コースタイム 河童橋6:15〜6:52明神〜7:39徳沢園〜8:32横尾〜9:25一ノ又〜10:15槍沢ロッジ〜12:10天狗原分岐〜13:07坊主岩〜13:33殺生分岐〜14:20槍ケ岳山荘〜15:13槍ケ岳


「第1日目  上高地〜槍ケ岳」



槍ケ岳山荘前の槍の肩にて





8月3日22時、武やんとともに夜行バスさわやか信州号で大阪を発つ。翌日4日朝5時45分上高地着<。水を補給。

信州号のアルピコグループの山岳保険が目に付き申し込み。
1000円で、救援者費用300万、死亡262万、入院日額3500円、加入日から7日間。


河童橋


猿の家族のお出迎え


明神館


徳沢園


横尾  涸沢〜穂高と槍分岐


槍見河原  霧で槍ケ岳は見えない


槍沢ロッジ  多くの人はここで泊まるが5分ほど休んで出発


天狗原分岐  そろそろ疲れてきた


槍沢ロッジあたりから抜きつ抜かれつピンクのカッパが気になる。単独の美しい女性だった。始めは遠慮していたがついに声をかけと「コーリャン ○×$$」?韓国から登山者だった。


東鎌尾根と2つの山小屋  下の殺生ヒュッテとヒュッテ大槍

尾根にはたくさんの人影


殺生分岐




坊主岩 槍ケ岳開祖の番流上人が泊まったと言われる



槍ケ岳山荘到着    14時20分 ヘロヘロだった。 

河童橋から8時間 小屋に荷物を預け槍ケ岳山頂へ






 
1965.7の写真を探して来ました9.30
 赤木君と裏銀縦走


槍ケ岳山頂にて  

43年振りにきた。3回目だ。しみじみと感慨にふけった。

最初来たのは燕から表銀縦走だった。次は折立から裏銀だった。最初は単独だったなあ。

あの当時も山名板がなかったな。

確か山頂の祠に槍が飾られていたような気がするが。

深田久弥の言うとおり、北アを初めて目指す者はまず槍だろう。

今日もこの穂先に上るに下るに大渋滞。この人気。


ブロッケン現象が見られた。 不思議なことに自分のは見えて、人のは見えない。


ハーネスとロープで確保されてやっとこさ上がって来たご婦人、登頂の感激で泣き出す、一向拍手。

小雨は上ったものの見晴らし悪く1時間以上ガスが切れるのを待つが穂高方面全く展望なし。



夕方天気がよくなり小屋の向こうに穂高の山が見えてきた。

明日はあの山に登るのだと思うと期待も膨らむ。


夕食は韓国のグループ20数名賑やかなこと。韓国海苔や韓国ラーメンを持ち込んでいた。

「第2日目  北穂〜奥穂」へ



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